yuhi_004

    この記事は、100%自分語りです。
    私が何故小林麻央さんを書こうと思ったか、
    そのルーツになった出来事、とも言えます。
    “ブログ主”に興味がない人はご退散ください。

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    由真とカーチャンの話①

    無茶苦茶長い、一気に全部語ったからな。
    時間あるときにでも、読みたい人だけ読んでくれ。

    5ページある。

    来るべき日は、突然。

    「ちょっとパート休んで病院行ってくるな?」

    最悪の日は、カーチャンの何気ない一言で始まった。
    ある年の梅雨の頃だったと思う。

    ちょっと胸が痛かったそうで、咳も出ていた。
    風邪かな、みたいなことを言っていたのは覚えてる。

     

    当時、アタシは会社員だったが、
    金銭的な事情もあり実家から仕事に出向いていたんだ。

    どちらかと言えばブラックに近い職場で、
    朝早くに出て日付変わる前に帰宅する。

    そんな日々を過ごしていて、
    家族との会話も少なくなっていた状況だった。

     

    下に2人いたが、2人ともすでに家は出ていた。
    故に、カーチャンとアタシと、父親の3人暮らし。

    元々父親とは折り合いも悪くて、会話をしてもカーチャンだけ。
    アタシ自身、カーチャンのために家に残ってたようなもんだ。

    正直ここまで親孝行なんかできてなくて、
    ガキの頃とかは迷惑かけまくっていたと自覚もあったから、
    自分なりの親孝行のつもりだった。

     

    うちの父親は良い父親とは言えない。
    解りやすく、酒乱なんだ。酒しか楽しみ無い人。

    酔ったら暴れるし漏らすしとにかく手が付けられない。
    そんな父親とカーチャンを二人きりにしたくなかった。

     

    まあ、今も昔も変なエゴで動いてる訳だな、アタシ。
    それは、なんも変わっちゃいねえ。

     

    知ったのは、少し遅れてから。

    ある日、家に帰ってきたら叔母が居た。
    カーチャンが病院に行ってから数日経った日だ。

    「由真ちゃん、ちょっと座り」

    母と並んだ叔母が、帰ってきたアタシにそう言った。

     

    アタシは何のことかわからんし、
    叔母にはちょっと苦手意識があったから構えながら座ったぜ。

    優しいけど厳しい人だったんで、
    ヤンチャしてきたアタシもトラウマ一杯抱えているからな。

    まあ、そんな話は置いといて…

     

    「●●(カーチャンの名前)ちゃん、末期の肺癌やって」

    「え……?」

     

    人生で初めて、”言葉を失う”状況だった。

    何も聞こえないし、耳鳴りがする。

     

    「由真ちゃん仕事忙しいから、
     気を遣わせたくないって言ってたんやけど。

     ほら、●●ちゃん(父の名前)頼れへんやん?」

     

    叔母はそう続けていたけど、アタシは黙っていた。
    なんとなく、頷いていたのだけは覚えてる。

    でも、カーチャンの顔は全く見れなかった。
    どんな表情していたかも今になってもわからない。

     

    叔母が全て話し終えて帰った後、
    アタシは「仕事あるから寝る」と言って、
    自分の部屋に戻って、1人で泣いた。

    叔母が何話してたか、殆ど覚えてない。

     

    知らない事、だらけ。

    叔母の言葉を断片的に思い出す。
    末期の肺癌で、”ステージ4″。

     

    ステージって、なんだ?

     

    当時のアタシは、それすら知らなかったんだ。

    末期の肺癌が絶望的なのはイメージ湧いたが、
    ステージの意味を知らなかった。

    知らないから、検索かけた。そして知った。

     

    余命、何日なんだ?

     

    叔母が言っていた気もするが、
    恐らくアタシの耳には届いていなかったのだと思う。

    ただ、目の前には検索結果で示されている
    “5年生存率”の絶望的な数値。

    それだけで、カーチャンが間もなく死ぬことはわかった。
    生存は絶望的だとも悟ったんだ。

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    逃亡の、日々。

    最大の親不孝者。

    余命いくばくもない事になったカーチャン。
    それでも、今は体が動くからとパートに出ていた。

    その時、アタシは何してたかと言うと、
    カーチャンと全く話さなくなった。

     

    顔も見ないし、声もかけない。

     

    ただ、仕事行って、帰ってきて、
    家賃や援助は口座に振り込んで、寝る。

    そんな日々を続けていた。

    …直視、できなかったんだ。
    バカでもわかる、カーチャンは長くないって事。

    だから、疎遠にすることで
    亡くなった時のショックを減らそうとしてた。

    要は、自分のことしか考えてなかったんだ。

     

    結局、カーチャンの事は叔母に任せきり…
    …と言うか、カーチャンがまだ普通に動けたんでな?

    一人で病院行って一人で対処してたよ。

    父親も”酒さえ入らなければ”普通だから、
    シラフの時とかは送り迎えしていたと思う。

     

    …結局、アタシだけが逃げてた。

    この頃のカーチャンは、よく覚えていない。
    アタシ、殆ど関わってなかったからな。

     

    叔母には今も足を向けて寝られない。

     

    “イレッサ”と転機

    凄く効果のある薬が適合した。
    そんな話を聞いたのは、半年後くらいだった。

    肺炎になりやすくなるリスクはあるが、
    癌に対する効果は覿面らしい。

    妹からそんな話が流れてきた。
    …まあ、話してないの、知ってたからな。

     

    実際、効果は覿面で、カーチャンは
    副作用も出にくかった感じでな。

    たまにお腹の調子が悪くなったり、
    味覚がちょっとおかしくなる”程度”で済んだ。

    相変わらず“家でぼーっとしてるより良い”
    パートに出ていたし、夕飯も作っていた。

     

    …その頃アタシも、移動が決まって
    ブラックな職場からホワイトな職場に移った。

    まあ店商売だからな、店によって差が激しい。

    残業する必要もなくなったし、
    毎日遊ぶわけにいかんから家に帰る日もあった。

     

    カーチャンが夕飯作って待ってくれてさ?

    うち、山の手にあるから庭で洗濯してる時は
    坂をのぼって上がってくるアタシに
    “由真ちゃんおかえり”
    と言ってくれる訳な。

    長い間無視していた、アタシにさ。

     

    だからいつしか普通に話すようになったし、
    前みたいに酔った父親と喧嘩したりして、
    カーチャンをかばうようにも戻ってた。

    今思えば体調の悪さを隠していたのかもだが、
    末期の癌でステージ4なんか嘘みたいだった。

     

    …本当にいつも通りみたいな日々。

    カーチャンが時々病院に行って帰ってくる。
    変化と言えば、それだけの日々が3年続いた。

    痩せたどころかその頃はむしろ太っていた。
    それだけ、癌が活動していない証拠だったんだろうな。

     

    3年だ。3年ずっと平和だった。
    …感覚を狂わせるには、充分な期間。

     

    アタシはすっかり忘れていたよ、
    母親が余命幾ばくもないって診断をされていた事を。

    末期癌なのを忘れていた訳じゃないけど、
    “なんとかなるかも?”と甘い考えを抱いていた。

     

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