capd20161111
    女優・シンガーソングライターで
    吉田美和の義母でもあるりりィさんの訃報が流れてきました。
    どんな人物だったのか、肺がんについて、など話します。
    りりィの死因の病気の肺がんについて生々しく。夫や息子の話も。
    それでは、語ってまいりましょう。

    *うちの癌記事お約束、後半大暴投しています。
     その辺り覚悟してお読みください。

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    まずはご冥福をお祈りいたします。

    b36401_icon_57 今回のご不幸…
    ご家族の方はご無念だったと思います。

    心よりご冥福をお祈り申し上げます。
    故人について多少なりとも詮索し、
    記事にすることをお許しください…。

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    そう言う事で今回は、
    りりィさんの訃報についてよ。

    ……肺がんで数年か。
    うちの母が亡くなった時とダブるのよね。

     

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    5年生存率もかなり低い方に入り、
    癌の死亡数の第一位に入ります。

    また、呼吸器の癌であるため、
    進行が進めばかなりの苦痛も伴います。

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    休まれてから数年…
    肺がんである、としか
    発表はされておりませんでしたが…。

    恐らく発覚の時点で
    全きであった可能性が
    高かったように思われますね。

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    りりィさんについて調べます。

    @りりィさんの生い立ちとご家族について

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    さて、ヘヴィな話をする前に
    先にご家族や彼女の話をするわ。
    wikiが存在するからさらっとね。
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    1952年2月17日、福岡県産まれ。
    没日は2016年11月11日。
    満64歳でこの世を去ったわ。

    芸能活動を始めたのは1972年、
    20歳の時からだそうよ。

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    ハーフの方で、父はアメリカ人。
    米国軍の将校で朝鮮戦争で亡くなったらしいわ。
    また、17歳の時に母も亡くなったらしいの。
    高校に行ってなくて、スナックで弾き語りをして
    生計を立てていたとか。

     

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    そんな生活を続け名h柄、
    1972年に歌手デビュー。
    1974年のシングル
    “私は泣いています”が
    97万枚を超える大ヒットに。
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    デビューから知名度が広がってゆくまでの
    生い立ちはこのような感じでございますね。

    1976年24歳の時に結婚されますが、
    1年で別居のち、7年後の
    1981年に離婚されておりますね。
    1982年に再婚し、活動を休止。

     

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    息子さんのJUONさんを出産し、
    十数年の間主婦業に専念するわ。

    JUONさんはFUZZY CONTROLの
    ボーカル+ギターをやっていて、
    ドリカム吉田さんの旦那でもあるわ。

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    旦那さんは一般人らしくて、
    詳しい情報は明かされてはいないわね。

    二度目の離婚はしていないから、
    恐らく最期は看取ったとは思うわよ?

     

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    最後は看取れてよかったね。
    ……何も知らない方は、
    そう思うかもしれません。

    ただ、肺がんの最期は深く深く
    心に傷を落としていきます。

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    それでは、重い話を致します。
    身内を末期の肺がんで亡くした者の、
    自分語りでございます。

    彼女の家族が同じ道を歩んだかは
    定かではありません。

    また、実体験のみで誇張もせず、
    一切外からは情報入れていません。
    全て自分の経験談でございます。

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    @末期の肺がんで数年生きると言う事。

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    肺がん全体の10年生存率が50%前後。
    ステージ4、つまり末期の場合は
    5年生存率が5%程度。

    母が肺がんにかかったと聞いた時、
    調べて出てきたこの数字に、
    大きく絶望した事は覚えているわ。

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    マトモに顔も見れないし、
    亡くなってしまうならいっそ、
    関わらないでおこう、と。

    数か月距離を置いた事もあったわね。
    今となっては後悔しかないけど。

     

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    重さは人によりけりだと思いますが、
    それほどまでに後数年しか生きられない。
    何もしなければ半年くらい。

    その言葉は、重いのでございます。

    b50704_icon_16 
    でもうちの母の場合は幸い、
    適合する治療法や薬が
    有効なものが多く…

    かなり長生きしてくれました。
    副作用は苦しかったとは思いますが、
    余り表面には出しませんでした。

     

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    時々入院して、帰ってくる。
    帰ってきたら健常者にしか見えなくて…。

    いつしかひょっとしたら
    癌は治るんじゃないかって。

    そんな希望を抱いていたわ。
    それは、最後の半年までね。

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    勿論ね、口では言っていたのよ。
    白血球の数が少ない、とか
    転移したから治療してくる、とか。

    でもね、なんか元気だったの。
    今思えば元気に見せようとしていたのだけど。

    相変わらず短期の入院だけだし、
    普通に出かけたりもするし。

    むしろ、病気になる前よりも
    人生を謳歌しているようにさえ見えた。

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    @最期の1日

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    あれ、思ったより重くないとおもうでしょう?
    でもね、何とも無かった事が、
    直前まで普通の人みたいだった事が、
    何よりもつらかったのでございます。

    終わりの時は突然に、
    亡くなる半年くらい前の話でした。
    効果がある薬が、無くなったと。

    大分前の薬を試してみるけど、
    それがダメだったらって話をされました。

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    ただ、その時は…
    余命半年と言われ早5年目。

    何だかんだ何とかなるんだろうと、
    何故か楽観視しておりました。

    すっかりと麻痺してしまっていたんでしょうね。
    たまに入院するだけで、元気だったので。

     

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    実際、どれだけ我慢してたかは知らない。
    確かに歩くと息が切れやすく
    なっていたようには思えたけど。

    亡くなる2か月前。
    再度入院するまでは普通だった。
    全然死期なんてわかってなかったわ。

    でも、この入院はいつもと違って、
    いつも二週間くらいで帰ってくるはずが、
    返ってこなかったの。

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    ロクに見舞いも行かなかったわ。
    いつもの入院だと思っていたから。

    呑気なメールの履歴も残ってるわよ。
    長引いてるみたいだけど
    いつ帰ってくるの、って聞いてるメール。

    顔文字付きの母の返信。
    “わからんけど、
    しっかり食べて元気しててや”
    …ってメールも残ってる。

     

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    亡くなる3週間前、母は帰ってきました。
    父に連れられて、酸素ボンベを引きながら。

    悲しいかな、ここで異常事態に気付きました。

    逆に言うと、ここまで気付けていませんでした。
    5年の平和な期間は、
    感覚を麻痺させるには充分でした。

    父は容体こそ聞いていたもの、
    家族には全く話してくれませんでしたので。

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    結局家に滞在したのは1日だけで、
    すぐに病院に戻りました。

    理由は、家の布団が固すぎて
    身体が痛い、と言う理由でした。

    病院の柔らかいベッドと比べて、
    うちのベッドは固すぎたのです。

    …これが、最後の帰宅でした。
    たった1日、母は何も言いませんでしたが、
    後から1日だけでも帰りたい、と。

    希望した故の帰宅だったそうです。

    @終わりの時

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    母が帰宅してから数日。
    父からこういわれたわ。

    姉妹で葬儀場の話をしてきて、と。

    一瞬何を言っているかわからなかったけど、
    すぐに理解した。

    もう先は長くないのだと。

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    この頃、ホスピスに入れるか、
    最期まで自宅で過ごすか
    軽く母と父が揉めていたみたい。

    母は周りに迷惑かけたくないと前者。
    父は最後は自宅に、と後者。

    結局この言い争いは…
    決着はつかなかったわね。

     

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    決着がつかぬままに
    容態はすぐに変わりました。

    最期にお見舞いに行った日の翌日。
    差し入れた果物を元気そうに食べていた翌日。
    帰りに呑気にiPhoneの機種変を
    おこなった、翌日。

    母は容態が極端に悪化しました。

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    元々鎮痛用のモルヒネを
    少しずつ投与はしていたのですけども。

    この容態の悪化を皮切りに、
    量が増えまともにコミュニケーションを
    取れなくなりました。

    実物を見たこと無いので
    何とも言えない所ではありますが、
    要は麻薬中毒患者のような
    様子になっていたのでしょうか。

     

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    それでもろれつの周らない舌で、
    最期の見舞いに来た親族に、
    3日前まではありがとう、と言っていたわ。

    殆どもう何がどうなっているか
    わからないだろうに、
    それだけは何となくわかったのね。

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    後は、もう、亡くなる二日前から昏睡。
    最期は眠る様に息を引き取ったわよ。

    偶然か、必然かは解からないけど、

    見舞いに来ていた親族や
    孫を引き連れてきた妹の夫が
    一度席をはずして戻った後に、
    静かに息を引き取ったわ。

    その時場に居たのは、父と、姉妹だけだった。

    わからない。偶然かもしれない。

    でも、最後まで強くあったのかな、
    自分の弱い部分を出来得る限り、
    見せないでいたのかな。

    そう、思うのよ。

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    あとがき/闘病中の人の詮索を憎悪する理由

    b50704_icon_10 
    このブログが一貫して、
    癌や病気で現在闘病中で、かつ
    ステージや容態を詳しく明かしていない人。

    そう言った人たちの
    詮索を行わない理由は、これにあります。

    何度も言っていますが、
    闘病中のご家族の心的負担を
    知っているからでございます。

     

     b36401_icon_20
    別に自分から全てを
    明かしているならいいのよ。

    調べられるリスクを背負ってでも、
    皆に伝えたいと言う事だったと思うから。

    ただ、病気で休養、とか、癌で休養、とか
    そう言った話だけで、
    死に直結するようなワードを調べたくないだけ。
    …余命、とか、ステージとかね。

     b36401_icon_20
    …癌と公表した時点で、
    調べられるのはあたり前だろ。
    そう言う人もいるけれどね?

    それが芸能人って仕事であり、
    立場であるとも思うわよ。

    小林麻央さんだって癌を公表した時、
    専門家を呼んでワイドショーで
    ステージ考察とかもしていたわね。

    ネットニュースだけじゃなかったの。

     

     b50704_icon_16
    でもそれを見るたびに思うのですよ。

    余命やステージについて
    何も言っていないのに環境や言動から
    無理やり答えを導き出して…。

    余命や生存率を書き立てる
    ネットニュースやメディア。

    ご遺族はそれを見るたびに、
    どんな気持ちを抱くのかと。

     b50704_icon_16
    自分だったら、こう思います。

    解りきっている事だけど、
    解りきっているからこそ、
    直視したくない現実があります。

    目の前の笑顔がいつか消える。
    それはもう遠くない未来に。

    そんな事を書き立てられると、
    気が狂いそうになってしまいます。

     

     b36401_icon_49
    だからうちは、気持ちも知らないくせに
    小銭だけ欲しい、美味しいネタだからって、
    無神経にズカズカ上がり込む
    ニュースブログを非難しているの。

    彼らに本当にご家族を思う気持ちなんて、
    きっとないでしょう?

    訃報系の記事だってそう。

    形だけでもいいから、
    弔いの言葉を向けている記事が、
    果たしていくつあるのかしら、と。

     b36401_icon_26
    真っ先に書く事なんて少ないから、
    ライバルには先に目を通すけどもね?

    殆ど無いわよ、そんな言葉書いてる記事。

    人間として一番大事なことが、
    抜けていると思うのよね。

    だから、嫌いなの。
    他所の無神経な芸能ブログが。

    うちが完璧とも思わないし、
    たまに暴言だって吐いているけれど。

    ああいう輩だけにはなりたくない。
    心からそう思っているし、軽蔑しているのよ。

    人間として見下している。
    そう言っても過言ではないわね。

     

    b50704_icon_16 
    なんだかりりィさんの死因から
    大きくぶれ始めましたので、
    そろそろ筆をおきたいとは思います。

    癌患者で本当に大事な親族を
    亡くした人にしかこの言葉と気持ちは
    通じないとは解かっておりますが、

    癌の話になると毎度熱くなってしまいますね。
    誠に申し訳ないと思います。

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    キャラクター紹介/各絵師様
    白石家6姉妹

    b31622_icon_115ゆいb39811_icon_7ゆまb29042_icon_14ゆめね
    b36401_icon_49りるかb50704_icon_10くるみb36667_icon_24ゆきの

    300記事目からの追加人員

    かすがb33891_icon_21のんちゃんb71910_icon_6りんちゃん37563_d10702_ic
    96845_d19151_icひよちゃん31993_d10793_icなっちゃん

    この記事に使用されているのは
    『TW2シルバーレイン』『TW4サイキックハーツ
    』のイラストです。

    使用権はイカ野郎、著作権は各絵師様(*1を参照)

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    【キャラクター別イラスト作成者(*1)】
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     ◆白石夢音:風音昴/5G/縞海すずめ/RAW/総裕
    白石くるみ:えの  白石雪乃:茶/あにゅ
    のんちゃん:三石マメ太/一二戻 春日ちゃん:神谷/lilium

    りんちゃん:颯/吉江ユタカ 
    なっちゃん:れんこ/中谷サリー/綾にしき/中谷サリー
    ひよちゃん:三石マメ太/景山黒兎/東原史真/せと

    株式会社トミーウォーカー
    シルバーレイン(終了)
    サイキックハーツ(現在稼働中)
    ケルベロスブレイド(現在稼働中)